2009.12.07. Monday
「父とおなじ道を」
――親子とはいってもそれぞれ演奏などのお仕事で全国を飛び回っていらっしゃるお二人ですから、こうやって改まって芸談を語り合うなんてことはあまりないのでは?
真山 そのとおりです。普段どこで何をしているのか、お互いのスケジュールはほとんど把握してないですね。同じ会に出るのに楽屋で会って「久しぶり」なんて言ってますから。地方で「今日は東京から来たの?」と聞かれたりもします。
邦山 そう、日頃ゆっくり会話することはあまりないから、なんか照れ臭い気がするね。
――真山さんは何歳ごろから尺八を始められたのですか?やはりお父さまのお勧めで?
真山 幼い頃から、楽器が身近にあったので自然にオモチャ代わりにして遊んではいましたけど、始めたのは7歳の時からです。レッスンは小学5年生の時から受けました。そのうちお弟子さんに連れられて、初台の父のレッスン場に通うようになりました。高校三年間は父の高弟である川村泰山先生にお習いしました。
わりと早い時期から尺八のプロとしてやっていきたいと思っていました。小学6年生の時の卒業文集に「将来は音楽家になる」と書いているんです。
でも父に強制されたことはまったくなかったですね。
邦山 こういう世界は、本人がやりたいという気がなければ、強制してやらせてもうまくいかないと思いますよ。
「ジャズ談義」
――「山本邦山」のジャズのレコードはよくお聴きになっていましたか?
真山 民謡をテーマとしたジャズのなかの≪小諸馬子唄≫や≪こきりこ節≫を小学生の時に聴いて、初めて積極的に父のほかのレコードも聴きたいと思いました。僕のための楽譜を作ってもらって、手がまだ小さいから最初は一尺五寸管で吹いていた覚えがあります。
邦山 当時はビートルズやベンチャーズが盛んな頃で夢中になって聴いていたよね?
真山 そう、それで中学生の時に「バンブー・ビートルズ」を聴くようになったのがきっかけで、ジャズその他いろいろな音楽談義をするようになったんです。
邦山 真山が幼い時、つまり結婚してから三十歳くらいまでは、まだ仕事がない時期でね。小金井に住んでいたけれど、ビール1本飲むか、バスに乗るかどちらかを選ばなくてはいけないような苦労した時代でした。昨年71歳で亡くなった妻と二人で助け合って必死で生活してきたんです。
だから、仕事をいただいた時はうれしくて、いい演奏というより先にこれで生活できる、という安堵の思いでした。
録音といえば、当時総合放送という民間ラジオ放送があって、土、日曜日以外毎朝5分間の番組をもっていました。「おはようございます。山本邦山です」という挨拶で始まるんです。古典からジャズまでいろんなジャンルの曲を10日分くらいまとめて録音していました。三年間続いたから300曲以上、全部オープンリールでうちの棚に置いてありますけど。
その時、1回のギャラが8,500円だったんだけど、これは助かりましたね。
真山 大学に入ってから更に興味が湧いてきて、父の過去のレコードをすべて聴きました。
邦山 私の場合も、元々ジャズが好きで若い時からよく聴いていましてね。終戦後はアメリカ軍のジープがジャズを流しながら走っていたし、あちこちで聴こえていました。
――今回のJAZZ BOXに関しては邦山さんはプレイヤー、真山さんはリスナーという立場であるわけですが、お聴きになっての印象を聞かせてください。
真山 もちろん「いいな」と思いました。日本音楽とは異なる独特のリズムというか、要するに曲全体にハマったんでしょうね。
即興であるジャズの場合は、同じ曲でもその時やアレンジャーによって演奏や表れる音楽がちがうわけですよね。そういう、予測できない音楽のおもしろさを感じました。
邦山 朝からまる一日レコーディングしていたこともあったけど、ジャズという音楽の性格からいえば、一発勝負のほうがアドリブのノリがいいような気がしますね。
私はビッグバンドとやるときが難しいです。なぜかといえば、ビッグバンドはコードが決まっていて、ある程度約束事がありますから。竹は一本だけでメリ音、半音で十二音に対応できるから、その時の雰囲気で8、16、24小節という計算さえしていれば自由自在だからね。
またそういう意味で、スタジオでヘッドフォンつけて吹く録音より、ライヴのほうが絶対ノリがいいと思うね。
真山 (尺八を)持ち替えるんじゃなくて、1本で通すのはすごいよね。
父の場合は、あらゆるジャンルの音楽が体に沁みこんでいるんです。邦楽人でありながら、これだけ本格的なジャズ、即興演奏ができるというのは若い時からの多くの経験が物を言っていると思いますね。考えて音楽が出てくるわけじゃないでしょ?
邦山 そう、即興というのは意識してはダメで、音楽に没入すると、何かが下りてくる感じがするんだね。二度と同じものは表現できない寂しさと同時におもしろさがあって、生き甲斐を感じますね。二度と再現することはできないわけだから。
国立劇場で佐藤(允彦)さん(ピアノ)とインプロヴィゼーションをやった時は、二人ともすごくのっちゃって、15分くらい続きましたね。時間制限があるとよい演奏にはなりにくい。それと、観客、聴き手がよい時ですね。
――邦山さんは日本だけでなく、世界の多くのジャズマンと共演しておられますね。
邦山 ええ、いろんな人といっしょにやりましたね。
でも皆それぞれ個性が強いから、相性というものがあります。一番気が合ったのはやはり佐藤さんかな。山下洋輔さんは、話している時は物静かな雰囲気なんだけど、いざ本番になるとすごいエネルギーが発散される人。あの集中力とオーラはすごい。
外国のミュージシャンでも、たとえばゲーリー・ピーコックとフリーゼンでは、どちらもベースなんだけどタイプがまったくちがいます。ピーコックはジャズらしいジャズでしたね。
もし今またやるとしたら、気心の知れた昔の仲間とやりたいですね。
――真山さんも初めて自身の作品集をリリースされましたが、作曲にジャズの影響はありますか?
真山 うーん、父の作品には、シンコペーションなどジャズの要素を感じる部分があるけど、僕の場合はどうかな。いろんな音楽を聴いていたし、それに自分はどちらかといえばすべて譜面に表したいほうなんです。即興もそれほど経験していません。これから勉強したいとは思っていますが。
邦山 そう、たとえば私の尺八四重奏曲第二番の≪彩画≫という曲には、ジャズの影響が多分にあります。無意識に入るんですね。
私が言うのもなんだけど、真山はいい曲を書いていると思いますよ。私とは作風が異なっていて、“邦山節”じゃないんですね。これはいい意味でショックだった。私が作曲法を教えたことはないので、どこで勉強したのかとね。
でも、邦楽器なんだから、どんなジャンルの音楽とセッションしても、古典が基盤だということは信念として貫いているし、弟子たちにも常々話しています。
真山 僕はあえてちがう作風とか、特に何も考えてはいないんだけど…。
ただ父からは、作曲するうえで、五音音階を基本とするようにとだけ言われました。これは良いアドバイスをもらったと思います。やはり、そうすると尺八らしさが一番発揮されるんですよね。
――最近は真山さんの曲をお二人で演奏することもありますね。
真山 これはうれしいですね。取り上げてくれるということは、認めてもらったわけですから。
「JAZZ BOXの意義」
――今回の10枚組のリリースは、それでも邦山さんのジャズレコード全体の4分の1でしかないわけですが、企画してから10年目でようやく実現しました。
邦山 ありがたいですね。
改めて昔の録音を聴き直したり、作ってもらった年譜を見たりすると、私の歴史の一部にジャズがあったことが、今となっては、“山本邦山の音楽”を作ってきた一つの要素であるとはっきりわかりますもんね。
真山 この企画は、埋もれていたものが復刻されるという意義が大きいと思います。今は一般的にLPを聴くことができなくなっているので、CDという形になって聞くことができるようになったのは大歓迎ですね。
邦山会のお弟子さんでも、昔のものは今まで聴く機会がなかったという人もいますから。これは一般の人も興味をもって聴いてくれるんじゃないでしょうか。
――最後に、お互いに贈るエールのことばをお願いします。
邦山 ここまでになったら、もう何も言うことはないです。自分の音楽というものが確立されたと思う。私とはまたちがったカラーを出して、演奏、作曲に新しい感覚でやっていってほしいね。
強制したわけではないのに、自然にこの世界に入ってくれたのはうれしいですね。二人で共演できるのは幸せです。
真山 今、自分が教える立場になって、父に受けたレッスンがずいぶん生かされていることに気付きます。個人の解釈よりも伝承が重んじられる世界の音楽ですから、師匠の指導が重要だということ。与えてもらったすべてが自分の音楽の根本になっていて感謝しています。
ファンのためにもこれからも同じスタンスで、山本邦山しか出せない音、表せない音楽を続けていってほしいと思います。